長期間に渡って実施する全身脱毛ブログ:22-02-21
ボクは老舗の料理屋の三代目として生まれた。
パパも母も仕事に忙しく、
公私をきちっと分けるために、
子供はお手伝いさんに任せて一切口出ししなかった。
普段は生活も別で、
お手伝いのおばちゃんといもうとと3人でごはんを食べていたから、
ごく普通の食事だったと思う。
だから、母の手作り料理は皆無に近い。
強いて母の味といえば、日曜日の「スパゲッティ」。
ケチャップで炒めて、赤いウィンナーの入ったいわゆるナポリタン。
あとは、遠足の日の「炒り卵のり巻き」。
卵に砂糖と塩を入れてサササッと炒り卵を作り、
それをご飯にスパーッとかけてのりでスススッと巻けば出来上がり。
だから、弁当を開けると炒り卵のり巻きだけ…
でも、
特別な日に作ってくれたということはよく覚えている。
忙しい母にとって、それが子供への精一杯だったのだ。
よくおやつにチキンラーメンを食べた。
お湯をかけて、フタを開けたらできているので最初はびっくり!
小学生の時おいしくておいしくて、
毎日食べて肥満体気味になったこともある。
近くの駄菓子屋でも、よくお菓子を買い食いしたものだ。
夕方になると、
チリンチリン…という鐘を鳴らしながら
やってくるおでんの屋台で、
いもうとと二人、串を買って立ち食いしたのを思い出す。
よその母たちが
鍋やボウルを抱えて買いに来ている横で
子供が買い食いしているのは、ちょっと悲しくなつかしい記憶。
だめだよっと言われても食べていたのは、
やっぱり両親の目がなかったから…
料理屋って
両親と一緒にいられないんだなぁ…と
しみじみ寂しく感じることもあった。
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